
神奈川県の総合物流会社
株式会社ランクス
企業の成長を支える物流。その根幹にあるのは「人」の力です。
私は、現場で培ってきた経験と挑戦を重ねる姿勢で、神奈川県に特化した独自の物流ネットワークを築いてきました。
効率だけを追い求めるのではなく、お客様・ドライバー・地域社会すべてにとって最適な形を追求する――。その想いが「ノンストップ物流」という仕組みを生み出しています。
ここでは、株式会社ランクスの代表である私のこれまでの歩みや、物流にかける想い、そしてこれから目指す未来についてご紹介します。
幼少期から、三度の食事よりも体を動かすことが好きな少年でした。小学校に入ると、遊び、柔道、野球に明け暮れる毎日。勉強はそっちのけで、いわゆる“悪ガキ”として過ごしていました。
しかし柔道では、神奈川県大会個人戦3年連続優勝、全国大会出場という実績を残すまでに成長します。それでも野球好きの父の一言で、将来を左右する決断を迫られ、中学進学と同時に柔道を辞め、野球一本に専念することになりました。
ところが中学2年になると、気持ちは大きく揺らぎます。部活動には参加せず、放課後は学校を抜け出して繁華街のゲームセンターへ。仲間と遊ぶ楽しさに流され、「もう野球はいい」と思うようになっていました。
そんな自分を立て直したのは、やはり父の言葉でした。
「目標を持ったなら最後までやり遂げろ。結果はどうあれ、諦めるな。」
この一言が心に突き刺さり、再び野球へ本気で向き合うことになります。猛練習の日々を重ね、中学3年の夏大会では相模原市大会優勝。ここから人生は大きく動き出しました。
高校は東海大学相模高校へ進学し、1年生から寮生活が始まりました。全国から実力者が集まる環境で、野球漬けの毎日。生活は想像以上に厳しく、22時消灯、深夜1時起床、先輩のユニフォーム洗濯、早朝からの作業と、常に極限の状態で過ごしていました。
授業中は睡魔との戦い、練習後はナイターや自主トレ、そして先輩からの厳しい指導。16歳の自分にはあまりにも過酷で、何度もホームシックに襲われました。それでも3年間やり抜いた経験は、忍耐力や責任感、そして仲間との強い絆を育ててくれました。今でも当時の仲間とのつながりは、かけがえのない財産となっています。
その後、東海大学体育学部へ進学し、教師になる夢を抱きました。しかし持ち前の甘さが出てしまい、2年で中退という挫折を経験します。
そんな自分に手を差し伸べてくれたのが、高校時代の恩師・原貢監督でした。「スポーツクラブで働いてみろ」という言葉をきっかけに社会人としての一歩を踏み出します。
トレーニングや勉学に向き合う日々が始まりましたが、クラブはやがて閉鎖。再び進む道を失い、数か月間、将来への不安と向き合うことになりました。
転機となったのが、佐川急便株式会社への入社でした。
ドライバーとして現場からスタートし、日々の業務を通じて物流の本質を体で学んでいきます。その後、管理職、営業責任者へとステップアップし、神奈川県伊勢原市・平塚市・中郡エリアを中心に営業活動を行うようになりました。
現場の苦労も、営業の厳しさも経験する中で、「お客様にとって本当に価値のある物流とは何か」を常に考えるようになっていきます。そして入社15年目の夏、ある出会いがその答えを大きく変えることになります。
それは、バイオコスモ社・市岡隆司社長との出会いでした。群馬県赤城村から羽田までの冷蔵配送という、通常の管轄を超えた依頼に対し「できます」と即答。しかし内心は不安でいっぱいでした。
この仕事をきっかけに信頼関係が生まれ、「お客様の立場に立った物流会社を作ってほしい」という熱い想いを何度もぶつけられます。当初は家族のこともあり断り続けましたが、心は次第に揺れていきます。
そして40歳の時、改めて妻に自分の想いを伝えました。
「このままサラリーマンで終わりたくない」
その言葉に対し返ってきたのは、「挑戦してみたら」という後押しでした。
この一言が、人生最大の決断を後押ししました。
2005年7月7日、株式会社ランクスを設立。創業当初はわずか5名でのスタートでした。
しかし、冷凍・冷蔵物流はこれまでの経験とは異なり、思うようにいかない日々。毎月赤字が続き、資金は底をつき、生活も厳しい状況に追い込まれました。家族に十分な食事を用意できないほどの苦しさの中で、「経営の現実」を突きつけられます。
それでも、「ここで諦めたらすべてが終わる」という思いだけを支えに、一歩ずつ前に進み続けました。
転機となったのは、市岡社長からの言葉でした。
「まずは自分を変えなさい。感謝の気持ちを持ちなさい。」
その教えを胸に、和歌山県高野山での7日間の経営者研修に参加。極限の環境の中で自分自身と向き合い、経営者としての在り方を見つめ直しました。この経験を機に意識が大きく変わり、会社も徐々に好転していきます。
やがて収支は黒字化し、事業は安定へ。多くの人との出会いと支えによって、会社は確実に成長していきました。
創業から4年後には、神奈川県内で冷凍冷蔵物流の共同配送センターを構えるまでに成長。地域に根ざした物流会社として、多くの方々に支えられてきました。
この歩みは決して一人では成し得なかったものです。関わってくださったすべての方々への感謝を忘れず、これからも社訓である「仕事に携わった人へ幸せを運ぶ会社」の実現に向けて挑戦を続けていきます。